教育制度あれこれ -7ページ目

教員になる為の方法・・・

 公立教員採用試験を受ける!コレに限る!!まあ大変ですけどね・・・落ちても臨時採用、盲聾学校などで雇ってくれるかも!?

 私立は東京都などの一部では私学適性検査を設けているところがあります。専門教養・教職教養とあるのですが、噂によると専門教養が素晴らしければ教職教養はそれほど出来なくてもいいとか!?

 私立では学校別で募集をしている所が多くあります。面接でアピールだ!


 さてさて・・・正直公立の教員採用試験に現役で受かるとは全く思っていません。勉強不足です。追い込まれた感がない・・・モチベーションが保てないまま今に至っています。

 どうなることやら・・・

塾の話・・・(昔を振り返って見た)

 塾でバイトをしはじめてから気付けば4年目になります。自分で言うのもなんですが、なかなか強くなったもんだなぁと思います。


 始めの頃は、生徒の意見(批判)で宿題の内容が減ったりと弱弱しかった・・・

 最近ではそんなことは全くありません。そんなことをしたら生徒のためにもなりませんからね!強気です!


 学年が上がるにつれて、好かれる先生が「わかりやすい先生」になっていくというのを感じます。小学生くらいだと、宿題が少ないから!おもしろいから!などで好き嫌いを判断してもしょうがないと思いますが、受験を控えるとやはり、授業がわかりやすいということが大切ですね!もちろんそれだけではなく、楽しい授業も大好きですがね(゜ー゜;Aアセアセ


 やっぱり「メリハリのある(時と場合に応じて切り替えが出来る)先生」と言うのがいいですね^^


 そして生徒にもそうなってほしいと思います。楽しむ時は楽しむ!やる時はやる!!

円周率が「3.14」から「およそ3」になったらどうなのよ!

円周率が「およそ3」になるとどうなるか・・・


A君:計算が楽になる。どうせ難しい計算は計算機を使っちゃえば良いわけだし、やり方だけだけ知っておけばいいんじゃないの!?それが「ゆとり教育」ってものでしょ!?

およそ」3で計算できる時代に生まれれば良かったな~!!


B教授:ちが~う!!!それじゃあ駄目だ!!そんなんじゃあ算数・数学を学ぶ意味をない!!算数・数学を学ぶ意味と言うのは計算が出来る!ということじゃないんだ!計算が出来るということももちろん必要だが、本質は応用力・考える力をつけると言うことなんだ!


A君応用力・考える力ってどんなこと?


B教授:今の円周率を例にとってみよう!はじめから「およそ3で計算して良いと言われていたら、1桁のけいさんか!楽チンでいいなぁ♪・・・それだけで終わってしまう。でも、「3.14」で計算せよ!とされていたら、少数の計算かぁ・・・面倒だなぁ・・・なんか楽に解ける方法はないかなぁ!?大変な作業をするとなれば誰もが楽するにはどうすれば良いのか考えるでしょう!?それが大切なんだよ!例えば次のような計算があったとする。


 例 半径が12cm、18cm、25cmの円周の長さを求めよ。(円周の長さ=直径×3.14)


 解 24×3.14+36×3.14+50×3.14です。ココで工夫すると・・・

    (24+36+50)×3.14=100×3.14=314


と言うように応用力・考える力がつくんだ!


A君:なるほど!はじめから簡単な問題だと応用力・考える力はつきにくいんだね!子供の頃は苦労した方がいいってことだね♪


B教授:そうだね♪だから円周率を「3.14」で習った君は長い人生を考えればトクをしたってことさ♪


«追記»2006/03/23/22:35

 算数・数学でリアルな問題として捉えられるものは小学校低学年までだと考えています。実質的に社会で使われている数学は高度なレベルの知識であるからです。(経済学などに統計学など)

 計算スピードが速いと言っても2通りあり、単純に頭の回転が速い場合と、計算を工夫する力が付いている場合に分けられます。

 前者は様々な事に対して素早い対応が出来ると思います。ただし、一度わからなくなった時はそこで思考がストップしてしまうような場合があります。(もちろん両立出来ている方も多くいます。)

 後者の場合は、わからない場合でも他のアプローチの仕方はないだろうか?という方法を考えます。私はそれが応用力に値すると考えます。
 そして、そのような応用力をつけるためには、子供達にすんなりと解ける問題ばかりを出してもしかたありません。難しい(面倒な)問題にチャレンジさせて、悩んでもらい、新しい方法を考えてもらうことが大切なです。

 深く悩み考えた経験が将来の糧になると思います。

 今回の円周率はその一例にすぎません。


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前回の記事に関して

前回の記事「大学入試に革命を・・・ 」に関しての「こうし」さんのコメントに対する自分の意見です。


<コメント引用>

Blog主さんの考えには多少同意しかねますな。そもそも、学問の基本は暗記だと私は考えています。それは大学での研究に関してもそうでしょう。勿論暗記だけではまずいのですが、暗記が土台であることは間違いないと思います。

そして、大学入試で問われているのは「暗記力」、まさにあなたが言及していらっしゃる「どれだけやったか」でしょう。それは、「努力に対する耐性」であったり「将来の訓練可能性」を立派に代替する指標になりえるのではないでしょうか。

そもそもなぜ「学歴主義」は批判されると思いますか?「業績主義」と「学歴主義」には決定的な差があるのでしょうか?

ゆとり教育が推進されてる昨今の風潮の中で、なぜ近年、東大などにみられる「センター試験での使用科目増加」がおきるのでしょうか?

<引用終わり>


 暗記が学問の土台であり、ゆとり教育の結果それがおろそかになり、学力低下が問題視されていることは 間違いありません。そして、前回いいたかったことは、暗記をおろそかにしていい。ということでもありません。

 要は、世の中には特別な人間もいて、そのような規格外の人間を育てていけるような制度をより充実させて言ったらどうだろう?ということです。凡人は基礎をしっかりしなければ応用力は付きません。しかし、世の中には天才と言われるような人間がおり、そのような人は周りと同じペースではやる気がなくなってしまうかもしれない。そのような人の為に、特別優遇のようなものを充実させて日本からスペシャリストを輩出させると言うのはどうだろうかと言う考えです。

 そうは言っても、子供のころから周りと隔離してしまうと、成長してから少なからず問題が生じてくると思います。そのような事に関しても海外の例などを深く考慮して行かなければならないと思います。

大学入試に革命を・・・

 今の日本の教育問題は「詰め込み教育」が発展しすぎてしまったことです。

 そして、近年それを解消すべく「ゆとり教育」なるものが出てきました。それによって、授業内容の削減、総合の時間などを行うようになったのです。


 まずは、なぜ「詰め込み教育」が発展して言ったのか。

 理由は単純です。

 日本では古くから「学歴社会」というものがあります。そうなってくると、よい会社に入るためには良い大学に入る必要がある。つまり・・・大学受験を突破することを目標に勉強をするわけです。


 「勉強の楽しさ」とというのは、自分自身の力で新しいことを発見する喜びだと思います。それには時間をかけて「考える力」を養う必要があります。


 大学に受かるためには何が必要かと考えると、「暗記すること」なんですね。大学受験を突破する(受験に必要な知識を得る)ことは時間との戦いでもあるため、時間をかけて「考える力」を養っている場合ではなく手っ取り早く「暗記する」必要があるんで!


 こうなってくると勉強が楽しい・おもしろいと感じる人はごく少数になっていくと思います。


 話は戻って、「ゆとり教育」なのですが・・・授業内容が削減されても、そのまま大学受験の内容が削減されるわけではなくてただ単に先送りしてるだけなんですよね。

 そうなってくると独自のカリキュラムで進めて行く私立に人気が出てくるわけです。私立高校では土曜も授業を行って、3年になってからは授業は入試対策のようなものもあります。そして中高一貫高では本来高校で習う内容を、授業内容のつながりを考えて中学で教えることも出来ます。これは素晴らしいことであり、中高一貫教育の長所だと思います。

 

では国公立はどうしたんだ?ってことになるわけです。

 

 最近あるニュースが私に衝撃を与えました!!


 数学だけ5時間…東工大「究極の1科目入試」今秋から  

 数学1教科だけの5時間の試験と書類選考だけで合否を決める――。


 大学受験ですよ?小学校、中学校、まあ高校までは、まだ見ぬ将来の進路に幅を持たせるために、多様で幅広い学問を学ぶことは悪くはないでしょう。ただ・・・大学受験ですよ?○○学部○まる学科という専門性の高い分野に入るための試験でセンター試験のような幅広い分野の勉強をする必要があるのか?ただ、単に「暗記力があるんです!」「努力したんです!」ということを示すに過ぎないのでは?

 ・・・と思っているような私は感動しました


 今の社会で求められているのは「マルチ人間」ではなく「スペシャリスト」です。それにも関わらず、国公立の大学ではほとんどがセンター試験を通らなくてはいけない。(AO入試はごくわずかです。)

 

 スポーツの世界では卓球の福原愛ボクシングの亀田三兄弟フィギュアスケートの浅田真央のように幼い頃から「スペシャリスト」を育てるべくして教育している例が数多く存在します。


 それを学問の世界でもやってもらおうではないか!ということです。多くの大学が「究極の1科目入試」を実施することを表明することで、幼い頃から専門性を高めることだ出来るようになるのです。


 「マルチ人間」が悪いと言っているのではありません。同じような人材ばかりではなく、学問の世界でも、「スペシャリスト」(悪く言えば異端児)を積極的に育てて言ってほしいのです。


 そのためにもこれからより多くの大学が「究極の1科目入試」を取り入れて言って欲しいと思います。


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