総合的な学習
中央教育審議会は「生きる力」を育むためには子供たちや社会全体に「ゆとり」が必要であると提唱した。
「生きる力」とは、これからの変化の激しい社会において、いかなる場合でも他人と協調しつつ自立的に社会生活を送っていくために必要な人間としての実践的な力・・・と言うことだそうだ。
こうした力を育むためには、「知識を教え込む教育」 ⇒ 「自ら学び、自ら考える教育」への転換を図ることが大切であると指摘した。
そのようなことが背景にあって、総合的な学習の時間は取り入れられたのだが、実際にどのように活用されているのかというと・・・なかなか難しいらしい。特にこれをやれということではないので。教員の力量が問われるのだ。
しかし、教員も大変だと思う。なにせ、「自分たちは知識を教え込む教育」を受けてきたのに、「自ら学び、自ら考える」教育をしなければならないのだ。もちろんどのような教育をするかも、教員自身が、自ら考えなくてはならず、生徒に見本を見せなくてはならない。
中には、調べ学習という安易な方法をもちいて、生徒が自分の好きなことをネットで調べて、それでおしまい・・・というのもあったようだ。しかし、大切なのはその後で、生徒になぜそれを調べたのか、調べた結果どのようなことがわかったか・・・などのことについて、自分の考えを持ってもらうことだと思う。
総合的な学習を通じて、生徒に自ら学び、自ら考える意識を植え付けていって欲しい。
- 著者: 香川大学教育学部附属高松中学校
- タイトル: 教科学習を支え・支えられる総合的学習
教員免許更新制度
教員免許の有効期限を作る・・・というような内容の新聞を何ヶ月か前に見たのを思い出した。
覚えている内容は、ペーパードライバーならぬ、ペーパー教員(免許を持っている人)を除いて、一定期間が経過すると、更新しなくてはならない。当然その時には適正検査がなされる。専門教科のテストや面接などさまざまなことが行われてくるのだろうと、想像される。
今までは教員免許を取得してさえいれば、一生安泰だった。教員によっては、何十年も同じ方法で生徒を指導してきた人もいるだろう。(毎年鍛錬して頑張っている教員の方が多いことを祈るが・・・)
教員免許更新制度が出来ることによって、このような教員がやめたり、勉強する期間が与えられたりすれば、その空いた枠に、新しい若い教員が入ることが出来る。
現在の教員採用は少数であるが、昔は子供が多かったために、多くの採用者が出ていた時期があった。そのような時期は採用が多いために、質が劣っていたかもしれない。経験によって、良い教員に育ったかもしれないが、何か問題を起こさない限り定年まで働き続ける。
それよりも、駄目ならば新しい教員を入れていく。これはプロ野球のレギュラー争いのように、良い影響を与えてくれると思う。
- 著者: 土屋 基規
- タイトル: 教師の免許と研修はどう変わる―「教員の資質向上」を考える
相対評価から絶対評価へ・・・
少し前に学校の評価方法が、相対評価から絶対評価へと変わった。
相対評価とはクラスや学年に一定の基準を定めて評価を行う方法。
絶対評価は個人の頑張り次第で評価を行う方法。
絶対評価に変わったことでどのような変化が現れたのだろうか?
生徒は自分が頑張れば、テストの点数に関係なく、良い成績が与えられる。(関係ないことはないが・・・)
ここで重要になってくるのが、宿題や授業態度である。
今回は宿題について取り上げたい。
小学生を例に出して説明していきます。
小学生は宿題をすれば成績があがるようになると、宿題=成績UP、という考えになります。
これはかなり危険です!
本来、宿題とは学校で学んだ新しいことを定着させるためにするものであります。
それをただ単に成績があがるからと、ただノルマをこなすようになってしまうと、危険度MAX!!
具体的に例をあげましょう。
小学校の漢字練習で「10個の漢字をそれぞれ10回ずつ練習してくる。」
これは皆さんも経験したことがあるかもしれませんね。
これは本来、漢字を覚えること・漢字練習を習慣付けるためにやるものであると思います。
しかし、これを成績が上がることに直接つながってくるとどうなるか・・・
宿題は覚える、というよりもノルマの回数をこなせば良いという感覚になってきてしまいます。
これでは漢字を覚えることは出来ません。
ましてや覚えてない漢字をもっと繰り返し練習したり、覚えている漢字は少ない回数にしたりなど自分で自主的にやるようなことは身につかないでしょう。
それはマズイ・・・
ということでここからは提案です。
やはり目標が必要となってきます。
そこで漢字検定などの検定を受けることをオススメします。
検定は後々になっても役に立ちますし、合格すると賞状が送られてきます。
子供は賞状をもらえることを喜びますし、友達がもらえば、自分も欲しくなり頑張ると思います。
適度の競争は教育に良い効果を与えてくれると思います。
コメント募集します。反対意見もどしどしお願いします。勉強になりますので!
- 著者: 加藤 幸次
- タイトル: 絶対評価―学校・教育のどこが変わるのか
ゆとり教育は誰にゆとりをあたえたのか?
ゆとり教育という言葉がよく聞かれています。
ゆとり教育は誰にゆとりをあたえたのか?
ゆとりは子供たちに与えられました。
実際に子供にゆとりを持たせるために週休2日制になりました。
教科書内容の大幅削減。
これによってどのような効果が得られたでしょうか?
子供たちはこのようなゆとりをどのように利用しているでしょうか?
自分はゆとりが子供たちに格差を作ってしまう原因のひとつになってしまっていると思っています。
まず、週休2日制になったこと、授業内容削減によって学校に通う時間・学校で学ぶ内容が少なくなりました。
しかし、学校以外のことを考えると、勉強している以前と時間は変わらない、もしくはそれ以上にしているという生徒もいると思います。
それは塾です。学校で教える内容が減ったことによる危機感を感じたのか、それとも今はやっている?中学受験の影響なのか、もしくは一人っ子が多いからなのかもしれませんが、塾に通う子が多くなってきています。
これが学校にどのような影響を及ぼすのか?
それは、学力差です。クラス内で塾に通っている生徒は、学校で習う内容はもうたいていは習っています。むしろ学校で習わないようなことも習っています。言い過ぎかも知れませんが、少なからず塾に通ってない生徒よりも出来ると思います。(通っていなくても出来る子は出来ますが・・・)このようにクラス内で学力差が出てくると、先生のほうは大変です。出来ない子には基本的なことを教えてやりたいし、出来る子には発展的内容を教えてやりたい。しかし、時間は減らされてしまった・・・。
はたして、ゆとり教育とはこれでよかったのでしょうか?
自分が理想だと思うゆとり教育とは別のものです。
ゆとりとは教師に与えるべきなのです。教師が生徒に教える時間にゆとりを与えるべきなのです。
どういうことかというと、教師は誰もが生徒に理解して欲しい。しかし、限られた少ない時間では全員には理解してもらえない。(特に週休2日制の今では)そこでゆとりを教師に与えるのです。ゆとりといっても教師が休みをもらったりするわけではありません。教師が生徒に教える時間をもっとたくさんもらって、時間をかけていろんなことを生徒に教えるのです。
これこそが真のゆとり教育だと思います。
- 著者: 和田 秀樹
- タイトル: 学力崩壊―「ゆとり教育」が子どもをダメにした
- 著者: 和田 秀樹
- タイトル: 学力崩壊―「ゆとり教育」が子どもをダメにする